共感と同情
Jun 16, 2024私の大好きなブルネ・ブラウンが同情と共感があると話した。
同情は、他人の不幸を「人」ごととして受け取り、「大変だね」と声をかけること。
共感は、他人の不幸を「自分」ごととして受け取り、「分かるよ」と声をかけること。
ブルネ・ブラウンは、共感は、リスクを伴うことがあるという。
なぜなら、自分の脆い部分、弱い部分に繋がらないと、相手の痛みを自分ごととして受け取ることができないから。
ほとんどの人は、自分の弱みや脆さは棚に上げて、
他の人の不幸をあたかも、野球場でプレイを見るかのように眺める。
その時は、野球場で頑張っている選手の気持ちよりも、批難し、批判し、野次を飛ばし
それを楽しんでいることすらある。
高みの見物が、同情だという。
ブルネブラウンのメッセージは、共感を大切にしようという内容に聞こえた。
ところが一方で、
私は、マッサージ学校に行った時、共感はしてはいけないと習った。
真っ逆さまにマンホールに落ちた人のところにわざわざ自分を持っていくことは、危険だと。
相手の痛みを自分の痛みの如く感じることは危険だと。
だから、一定の距離をちゃんと自分の中で取ること、つまり境界線をひきなさい。と学んだ。
そして、セッションでも何でも人間関係は、「同情」で十分だ。と。
この両方とも10年ぐらい前の話。
あの時の私は、どちらが優しい人として、正しいのだろうかと困惑した。
同情か共感か。
10年経った今、私は気づいたことがある
それは、両方とも正しかったということだ。
ただ、同情と共感の両方とも実行するには、一つ大切な要素が必要だということに気づいた。
それは、「自分のワークをしてるか。。。。」である。
特に、
自分がモヤモヤしたとき、
自分がざわざわしたとき、
自分がイライラしたとき、
自分がギスギスしたとき、
自分がトゲトゲしたとき、
自分がビクビクしたとき、
自分が自分じゃなくなったとき、
自分を理解し、自分を取り戻すワークをしているか?
それよりも、
仕方がないのよ、仕事だから、子育てだから、親子だから、男女だから、夫婦だから、上司だから
そう言って、その時が過ぎるのを待っているのか。
ワークをしていない場合、
共感をすると、その痛みに強烈に引きずられる。
相手の痛みに自分の痛みを重ねて飲まれてしまう。
そして犠牲者の気持ちの渦の中で、一緒に沈んでいく。
それだけではない。
そう言ってくれる人を次から次へと求める犠牲者マインドを増幅させる。
蟻地獄のように。
そういう状態である世界は、
共感をして、引きずられるか、
共感をせず、同情して、他人事として取り扱おうとする世界になる。
その一方で、「ワークをしてる」と、その痛みの中にいる人の気持ちが
嫌でもわかる。
同じ状況ではなくても、同じ要素があったら、理解をするのは容易い。
傷ついたこと、苦しいこと、悲しいこと、寂しいこと。
昨日のことのように思い出すことができる。
だから、共感の素晴らしいところは、
「わかる。私もそうだったし、今でもそうなる時がある」
そう言えること。
そして、そう言ってもらえると、この世で傷ついているのは自分だけじゃないと感じられる。
そして、「ワークをしている」と
その痛みから出ることが出来るということも知っている。
勇気を持つこと
チャレンジすること
自分をもう一度信じること
そして、
自分を取り戻すこと
それらは可能なのだと知っている。
なぜなら、ワークをして、そこを一度経験しているからだ。
だから、その可能性を示唆することが出来る。
それが出来るということはとてもパワフルな事なのだと私は知っている。
友達としても、親としても、娘としても、生徒としても、妻としても
どんな立場であったとしても、
そんな自分でいることはとてもパワフルだと思う。
脆くて弱い自分を見せること、
それと同時に
本来の自分に戻れる強さを持つこと。
この両方を私は
「パワフル」
と呼ぶ。
生きていれば、気持ちのアップダウン、人とのゴタゴタなんて
驚くほどある。
それと同じぐらい、美しくて、感動して、この人に出会えて、よかったと思うこともある。
そして、私は、娘たちに対して、そういう母親でありたいと思う。
自分の弱さをシェアする。
そして、自分を信じてもう一度挑戦する強さも持つ。
弱さだけをシェアする母親にはなりたくない。
強さだけを見せる母親にもなりたくない。
では、そこに行くための第一歩は何か?
それは、自分の気持ちにまず共感する強さと弱さを持つことである。
自分がモヤモヤしたとき、
自分がざわざわしたとき、
自分がイライラしたとき、
自分がギスギスしたとき、
自分がトゲトゲしたとき、
自分がビクビクしたとき、
自分が自分じゃなくなったとき、
その自分に対峙すること。
それを筋肉反射テストで見ていく。
私はいつも使っている。
「ねえ、私のこのモヤモヤをもう少し詳しく教えて」って。
頭で考えた答えではなく、潜在意識が出してきた答えは、
受け取るに、キツい時もあるけど、ほとんどの場合は、自分が自由になる。
先日もそうだった。
自分でも驚くほどの怒りが出てきた時は、
その怒りの対象者に、怒りを馳せたくなる。
あの人は、わかっちゃいない。
あの人は、他人の気持ちをわからない。
あの人は、無神経だ!
色んな気持ちが出てくるけど、増幅させるだけで
マンホールの奥深くに沈んでいくだけなのを私は知ってる
だから、深呼吸をして、自分に言った。
「何に対して、本当にあなたは怒っているの?」と。
そして潜在意識が見せてきた答えは、
「助けて」だった。
その言葉を読んだ瞬間に、ああ、そうか。と。
色んな状況が目に浮かんだ。
そして、私は、どうしようかと考えて、自分が望む自分を理解して、マンホールから浮上した。
Connect Before Correct (修正する前に、繋がること)
この言葉は、子育ての本で知った言葉だ。
その状況にどう対応するかの前に、まず、繋がること。
感情ほどパワフルなものはない。感情が無法地帯だと、どんなに行動で繕っても、うまくは行かない。
納得して腹落ちして、初めて私たちは前に進める。
その感情をしっかりと潜在意識が筋肉反射テストを使ってピンポイントで教えてくれる。
東京での2024年8月3日の筋肉反射テストのクラス(内容はこちら)
は、そんな内容を盛り込んでいます。
すでに半分が埋まっています。
I am LOVE.